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アフリカ生活つらくて泣いた日々のはなし。

こんにちは。


Sagiri

アフリカから北アメリカまで
5大陸で20代を過ごしたSagiriです🌍

アフリカって治安大丈夫?
青年海外協力隊の日々ってどんな感じ?
海外での暮らしをするのに知っておくべきことは?

Sagiri

なかなか、実際に住んでみないと分からない海外生活のリアル。
アフリカのリアル…etc
ありますよね。不安ですよね😢…


この記事では、マラウイ生活で経験した、世界のどこでも起こりうることを話します。


海外生活の経験がある方には一度は起こることなのではないでしょうか。

私の簡単な過去の滞在歴から順番に、お話してきますね。

○青年海外協力隊に興味のある方
○海外生活に興味のある方
○アフリカに興味のある方

Sagiri

よかったら、読んでってくださいな~

もくじ

20代の半分は海外で過ごしている(was, doing, will)Sagiriの滞在歴🌍


Sagiri

過去から現在まで、1ヵ月以上滞在した国はこちら✈





こんな感じで、東南アジア、ヨーロッパ(4週間だけ)、東部アフリカの滞在歴があり、

そしてカナダ生活(10ヵ月)を終えたところですね。

次はオーストラリア予定です🐨



なぜ東部アフリカ、マラウイに?🌍


青年海外協力隊として、2年間マラウイ共和国に派遣されていました。

Sagiri

青年海外協力隊ってなに?こちらをチェック



配属先はJICA(国際協力機構)によって決められます。

皆様の出身市町村にいきなりたった1人の外国人がやってくるという感じですかね。

私は、マラウイ共和国、マンゴチ県マンゴチ市にいました。

マンゴチ教師研修センターに務め、

現地教員の表現芸術科目(体育、音楽、図工、裁縫)の指導向上のため巡回指導を行っていました。


Sagiri

専門科目はガッツリ体育です🥎


青年海外協力隊、配属。最初の1~3か月の日々

青年海外協力隊の任期は2年、730日


異国の地、初めての社会人(当時24歳)、仕事として海外へ行く。

出発前の経験の浅い私には、この先どんなことが起こるのか何も準備がなかったように思います。ぴえん

大抵の事には動じない、自分ならやっていける。と自信に満ちていました。

「さあ、新しい毎日の始まり!挨拶周りや、村の様子を見に行こう!」

と意気込んで外にでると…

チャイナ!チャイナ!チャンチュン!(おい!中国人!)

Sagii

え、私に言ってる…よね?

ウェルカムトゥーマラウイ。ここからチャイナ攻撃が始まるわけです。(笑)

青年海外協力隊、苦難の日々。~人種について~





始まった異国の地での1人暮らし、これから2年間住む町の人々に『チャンチュン!』と呼ばれる。

私は、「アフリカ生活で一番学んだことは?」という質問には必ず、「人種差別について」と答えます。

出発前、まさか自分がその的になると想像もしなかったから。

10分も歩けば必ず叫ばれ、どこへ行っても視線を浴びる。

そりゃそうか。1人だけ明らかに肌の色が違うアジア人がいったいここへ何しにきた。と現地の人は思うよね。




もう、やめてくれ。日本人やし。野次飛ばされに来たわけやない…。



まず、日本という国を彼らは知らない。中国だろうが、日本だろうが関係ない。

アジアの見た目をした人間には徹底的に声を上げてくる。(もちろん、そういう人ばかりではない)


「チョカ!!」(出ていけ!) そう言われたこともあります。

車内にいた時、「降りてこい!」と窓越しに叫ばれたこともあります。


Sagiri

いったい私が何をした?
アジア人、日本人、1人の人間であることを否定されている気持ちになってしまっていました…



家から出ることもつらくなって、ぽろり😢涙が込み上げてくる。そんなマラウイ生活のスタートでした。

青年海外協力隊、アフリカ、マラウイでの生活。3ヵ月~6ヵ月経過

それでも人間慣れるもんです。笑

Sagiri

ま~た言ってるわ。飽きないね~。はいは~い。


段々免疫がついてきて、叫ばれたら叫び返してみたり(※やらないでください)、真剣に向き合ってみたり、工夫は様々。

もうつらくなって泣いたりなんてないない。

💡ただこの頃から気付いたことがあったんです…


アズング!アズング!(外国人・白人!)


アズング=外国人・白人。

私たちアジア人はあまりこのように呼ばれません。

でもたまにこう呼ばれることがあったんです。それで気付いたのが、




あれ。アズングって呼ばれてもムカつかない。



なぜ。なんでアズングだとムカつかなくて、チャンチュンだと嫌なのか。

その時、私自身も、人種差別を自分自身でしてしまっている側だ。と分かったんです。


そして、現地の彼らにとったら

初めて見るアジア人、外国人。話してみたい!!

という気持ちを持ってくれていること。

あんなにムカついて嫌で仕方なかったことだったけど、

理解するのに時間がかかったけど、

そう捉えてみたら自分自身もすごく楽で、どんどん村の人町の人と関わっていくようになりました。

「Hey チャンチュン!」に対して手を振ってみると、キラッキラ✨の笑顔で手を振り返してくれる。


※人それぞれです。アジアンヘイトも実際にいます。直感を信じて危険な場合はドンシカトでOK




つらいことどうしようもないことにぶち当たったら、
捉え方を180度無理やりでも変えてみると自分自身を救えます。

そんな場所で2年過ごし、2年経過する頃には、チャイナ、アズングなんて呼ばれ方しませんでした。

Sagiri!Shakira!(アフリカンネーム)

Sagiri

Bho!(元気!?)Anzanga!(チェワ語で友達)



村の一員、現地の小学校で働く唯一の日本人、Sagiri」と町の人々から認識してもらえました。

そこに行きつくのに、私の場合は1年はかかったと思います。(配属される村や町の規模、現地の人々との関わり方による)




2年間。マラウイで過ごして知った大切なこと🌍


初めての記事でなかなかシビアな事書いたなと自分で思っちゃいました(笑)

でも、聞かれるんですよね。

○マラウイはどうだった?
○どうやって海外の人と関わるの?
○アフリカって未知すぎる…
○危険な体験はしたことある?
○怖くない?



Sagiri

なかなかこれらの質問に答えるのって難しい…
伝わり切らないんじゃないか…….?

言葉で伝えるのってどうも難しくって、聞かれたら答えられる範囲でいいや。

と思ってたけど、「この経験が誰かの役に立つかもしれない」と背中を押され書いてみました。

カナダで生活をして、人種差別的なことを言われたり、見たりしたことは今までありません。


ですが、どこにいても的になることは大いに有り得ます。


自分の身は自分で守る。

身の回りの危険な地域に関してよく調べておくこと

あまり目立つことはしないこと(特にアフリカでは)。

自分自身が人種差別の被害者にも加害者にもなるということ。

そしてそれは、アジア人の私たちに関わらず、全世界の人々にも同じ

まだまだ未知なことで溢れている世界なので、無意識にしていることも本人の捉え方によっては「差別」

でも同じ人間。私たちが感じるようなことは、全世界中の人もきっと感じます。

Sagiri

親しき仲にも礼儀あり。世界の人と関わるときもたいせつに。

💡分かり合う努力は、世界に出たら今まで以上に必要。
郷に入っては郷に従え。ですね

日本も海外の方がたくさん働いていらっしゃるのを目にすることが多くなりましたね!

その方々は母国を離れて、世界で一番難しいと言われる日本語を勉強し習得して働いている

日本が好きで日本に来ることを決めた方、お金のため勉強のため、理由は様々だけど

日本を選んで日本の発展を支えてくださっていること、

ただ感謝とリスペクト。です☆


🌍青年海外協力隊についてもっと知りたい
🌍海外へ行って様々な経験をしてみたい
🌍海外の人と交流し友達になりたい


少しでも、考えや世界に対する気持ちが変わって、何か助けになっていれば幸いです。

今後もたくさん更新していきますので、どうぞよろしく~


Sagiri

zikomo!🌍

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